六日目

 大学に行ったら古書市をやっていたので、山田和夫の『映画の事典』と新井一の『シナリオの基礎技術』を買う。昨日も言ったとおり押井守の本が読み終わっていないのに、こんなに買い溜めてしまって大丈夫なのだろうか。

 

映画の事典

映画の事典

 

 

シナリオの基礎技術

シナリオの基礎技術

 

 

 お金もないのに何をやってるんだ、と思い家に帰ると、今度は小林雄次の『脚本家という生き方』が届いていた。

 

脚本家という生き方

脚本家という生き方

 

 

 昨年小林雄次先生にお会いする機会があったのだが、「経歴や作品についての詳しくは自著を読んで下さい」と仰られていたので、購入。とは言え、そう思ってから一年越しの購入なので非常に遅い。それだけ自分が脚本家になるか悩んでいたということの証左でもあるのだが。先生、あの時はありがとうございました。

 

宇宙刑事ギャバン THE NOVEL

宇宙刑事ギャバン THE NOVEL

 

 

 その時頂いた*1本も掲載しておく。シャリバンシャイダーの新作も公開されるということで、今この第一世代と第二世代を繋ぐ橋渡し的な作品である本作を一読する価値は多分にあるだろう。

 

 それにしてもここ数年、学生という身分でありながら、新書の類は授業で要請された書籍を何冊か読んだ程度だったので、今こうして書籍を収集して乱読していると、自分の読解力の低さを痛感することが多々ある。こうした人間がライターを目指すのはいかがなものかと思うが、一方で「脚本家になる事に"遅い"はない」と、さる作家が仰られていたことを頼りに、今からでもやれるだけのことはやっておこうと思う。

 

・今日見た映画

『自転車泥棒』

 戦後間もないイタリアは貧困層が職にすらありつけない状況であった。自転車を持っているという条件で職を得た主人公は質屋から自転車をなんとか買い戻すが、就労したその日に自転車を盗まれてしまう。

 常日頃から「先輩は白黒映画見なさ過ぎ!」と後輩に*2言われているので、いい加減山を崩しに掛かろうと思って、見た。旧作だから馬鹿にしていたということは無いのだが、自転車を盗まれた男が荒み、やけっぱちになっていく姿が伏線も交えながら段階的に描かれており、素晴らしい。時代など関係なく、優れた作品は構成が洗練されているのだと再認識した。

 ラストシーン、途方に暮れた主人公は、ついに自分がされたように他人の自転車を盗もうとしてしまう。このシーンは賛否の分かれる所であるが、僕個人の意見だが、痛く共感させられた。

 勿論自転車を盗んだ経験は無いけれど、何かを盗んで逮捕され、刑務所で途方に暮れるという夢を僕はしばしば見る。それは人生に対する不安の現れだと認識しているわけだけど、同時に「自分はふとした拍子に、道をたがえてしまうかもしれない」という恐怖心が内側に存在するということではないのかな、とも思っている。

 作中主人公の妻が夫の就職の事で胡散臭い相談所に通っている事が露見して、主人公は呆れるのだけれども、結果的に追い詰められた主人公も自転車を無くした事を相談しに行ってしまう。自分はそういうことはしない、といくら思っていても、環境がそうさせる、心の奥底がそうさせるなんてことは、往々にして有り得るわけだ。

 主人公は結果として自転車を盗んだわけだが、最初の自転車泥棒も同じように、ふとした心の誤りで盗んだだけかも知れない。そう考えていくと、誰が悪いのか分からなくなっていく。ラストシーンで自転車を盗まれた男は、その事を理解した。だからこそ主人公を許した。泣いて主人公にすがりつく彼の息子を見て、彼が悪人で無いと理解したのだろう。無論全員だから悪事をして良いわけではないが、善人が徹頭徹尾善人でいるということの難しさを象徴的に描いている。

 この映画は敗戦直後のイタリアの状況の縮図なのだろう。描かれるシチュエーションは悲惨としか言いようが無いが、しかしこれは紛れもなく彼らにとってのリアルだったのだ。そうした悲惨な状況に思いを馳せずにはいられない。だが、この映画には同時に一縷の希望が存在する。息子であり、仲間であり、主人公を許した男だ。そのことがこの映画をただ陰惨なだけの作品ではなくしている。我々の心は今社会情勢によって荒んでいるけれど、それは我々の本質ではない。そして我々は、まだ全てを失ってはいないのだ。この作品は今尚、視聴者にそう語りかけてきているような気がしてならない。

*1:その節はありがとうございます

*2:先ほどの後輩とは別